自分が外部から受け取った感覚(知覚とも)を言葉に当てはめることに対する嫌悪感を以前はよく感じていたが、最近はむしろそうしないと当然ながら相手に自分が感じていることすら伝わらないということがわかってきた。他者に感覚や考えを伝えるためには面倒臭がらずに日本語を書かなければいけないし、特にこれを簡潔にまとめあげるためには普段からの訓練が必要となる。短い文章で的確に相手の脳内へ考えを届ける努力がないと、すぐに同じことを繰り返し伝えはじめてしまい、冗長となりうることをひしひしと感じている。The same thing applies to another languages, of course. I recently noticed that English native speakers don’t use “indeed” or “tend to” normally, they just say things without those words, in another words, affirmative form.